あの日から6年
こんばんは。
今日は2017年3月11日。
東日本大震災発生から6年間が経ちました。
当時小学生だった筆者。
数日後に控えた先輩方の卒業式に向け、体育館にて練習を行っている最中でした。
先輩方一人一人が校長先生より証書を受け取っている姿をずっと見ていたその時、めまいがする感覚がしました。
「くらくらするな...。」と思っていたところ、国旗を掲げる竿が左右に揺れているのを確認。
そこでやっと地震だということがわかりました。
その時は「弱めの地震でよかった」と思っていましたが、帰宅してテレビをつけると津波の映像が流れていました。
小学生だった筆者は"津波"という言葉はサザンオールスターズの"TSUNAMI"という意識しかなく、災害という意識は皆無。
夜までテレビをまじまじと見ていた記憶があります。
亡くなった方々、行方不明になられている方々、被災者の方々に対しお見舞いを申し上げ、復興をお祈りします。
今日は東日本大震災に関連した記事をお送りしたいと思います。
1.航空自衛隊松島基地被災
海岸に面している為、津波が押し寄せ被災しました。
隊員は何とか1人の犠牲者も出すことなく済みましたが、基地所属の計28機もの機体が水没。
F-2戦闘機18機、UH-60J救難ヘリコプター4機、T-4練習機4機、U-125A救難探索機2機です。
(画像提供:ひこーきさん TwitterID:@hikokidream)
T-4練習機4機のうち、1機はブルーインパルスの機体でした。
「ほかのブルーインパルスの機体は?」とお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実はブルーインパルスは九州新幹線開業の祝賀飛行を控えていたため、3/10航空自衛隊芦屋基地へ展開していました。
震災の被害からは免れましたが、松島基地へ帰還することはできず。
約二年間、芦屋基地で訓練を行いました。
また、平成23年東北地方太平洋沖地震に係る防衛省・自衛隊の対応(2011.3/11 17:00現在)は以下の通りでした。
14時50分
防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)。
14時50分
東北方面総監部から連絡員を宮城県庁へ派遣。
14時52分
岩手県知事より災害派遣要請。
14時57分
海自第73航空隊(大湊)のUH-60J×1機が離陸。
15時01分
陸自東北方面航空隊のUH-1×1機(ヘリ映伝)が離陸。
15時02分
宮城県知事から東北方面総監に対し、災害派遣要請。
15時05分
空自三沢基地のF-15×2機が離陸。
15時05分
空自百里基地のF-15×2機が離陸。
15時05分
空自小松基地のF-15×2機が離陸。
15時15分
海自第2航空隊のP-3C×1機が離陸。P-3C×1機が離陸準備中。
15時15分
陸自東部方面航空隊のUH-1×1が離陸。
15時20分
海自第4航空隊のP-3C×1機が離陸。
15時23分
東北方面総監部から連絡員を福島県庁へ派遣。
15分25分
陸自北部方面航空隊のUH-1×1機(ヘリ映伝)が離陸。
15時26分
陸自第21普通科連隊の連絡員を秋田県庁へ派遣。
15時30分
海自第51航空隊のUP-3D×1機が離陸。
15時30分
海自第21航空隊(大湊)のSH-60×1機が離陸。
15時30分
海自第21航空隊(館山)のSH-60J×1機が離陸。
15時30分
海自第31航空群(岩国)のEP-3×1機が離陸。
15時30分
陸自第2施設団の連絡員を宮城県庁へ派遣。
15時55分
海自第21航空隊(大湊)のSH-60J×1機が離陸。
15時55分
海自第21航空隊(館山)のSH-60K×1機が離陸。
16時03分
陸自第6師団の連絡員を宮城県庁へ派遣。
16時10分
海自第5航空群(那覇)のP-3C×1機が離陸。
16時10分
海自第24航空隊(舞鶴)SH-60J×3機が飛行中。
航空機 計約25機
(出典:防衛省・自衛隊:平成23年東北地方太平洋沖地震に係る防衛省・自衛隊の対応について(17時00分現在))
その他震災に関わる対応は以下のページより見ることができます。
2.仙台空港被災
東日本大震災発生後、滑走路は直ちに閉鎖されターミナルビルには旅客・周辺住民・従業員ら約1400人が避難しました。
15時56分、地震による津波が到達し空港および関連施設は冠水。
ターミナルビルは3.02mの高さまで冠水し、1階部分には自動車や瓦礫が大量に流れ込んだそうです。
駐機中の旅客機は居なかったものの、海上保安庁や民間の小型機・ヘリコプターなど計67機が津波によって被災。
この内、海上保安庁のDHC-8-315「みずなぎ」のみ修理されたが、他の機体は修理を断念されました。
3月12日午後に救急車やマイクロバスなどが到着、避難者の退避が開始され、3月16日までに空港職員を除く全員が空港を離れたそうです。
3月16日、福島第一原子力発電所事故の影響を考慮して、アメリカ合衆国政府が在日米軍を含む自国民に対し、同原発から50マイル(80km)圏外に退避するよう勧告したが、同原発から80kmの同心円上に位置する当空港に嘉手納飛行場に駐留するアメリカ空軍第320特殊戦術飛行中隊が航空自衛隊松島基地を経由して移動し空港の復旧活動を実施。
アメリカ空軍及び空港の保守作業を担当している前田道路が残骸を除去し、部分的な滑走路の確保後、アメリカ空軍特殊作戦コマンド用輸送機MC-130Pが、強行着陸で復旧用の機材や車両を輸送。
空軍戦闘航空管制官がバックパックラジオ(可搬型無線機)で臨時の航空管制を確立し、空港機能を復活させた。
以降、米軍はこの空港を使って200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に輸送するなど、4月7日までアメリカ空軍・同海兵隊・自衛隊による日米合同救援活動「トモダチ作戦」の拠点として使用された。
4月3日、仙台空港近くの海岸に流木を用いて作られた「ARIGATO」の文字が仙台空港復旧作業の司令官であったロバート・トス空軍大佐に発見され、後の手記で仙台空港の復旧に力添えできたことを光栄に思う、と言及しました。
4月13日に運用を再開して以降、全日本空輸・日本航空・AIRDO・IBEXエアラインズによる臨時便を運航。
7月25日に全日本空輸・AIRDO・IBEXエアラインズ、9月1日に日本航空の定期便が再開。
国際線も、9月25日のターミナルビル完全復旧と共にソウル/仁川線(アシアナ航空)の定期便が再開。
その後順次運航が再開され、2012年(平成24年)7月30日の長春線(中国南方航空)再開をもって全路線が復旧しました。
仙台空港鉄道は、空港敷地内のトンネルが水没するなどの被害を受け、4月2日以降バスによる代行運転を実施。
10月1日に仙台空港駅の営業を再開し、同日仙台空港線は全線復旧しました。
(参考文献:仙台空港 - Wikipedia)
3.東北FLOWERJET
ANAは2016年2月2日、東北FLOWERJETを発表。
5月24日に就航しました。
これはANA福島空港の社員による自発的な提案であり、機体デザインは「震災を風化させない」「東北の“元気と感謝”を全国に届けたい」をコンセプトにしています。
機体には東北に咲く、“強く・美しく・まっすぐな”花々が描かれています。
この機体は2020年までの運航を予定。
後日東北FLOWERJETに関する詳細をお伝えしたいと思います。
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