【ターキッシュエアラインズ】Retro Livery"TC-JNC"
こんばんは^^
今日は昨日の記事の続編をお届けします。
昨日の記事をまだ読んでない!って方は、先に昨日の記事を読んでいただけると幸いです。
Retro livery"TC-JNC"
塗装について
TC-JNCは"Retro livery"、日本語訳すると復刻塗装・旧塗装といった感じです。
(旧塗装というと航空ファンの感覚としては新塗装移行期間中にまだ移行していない塗装という感じがするので復刻塗装といった方がわかりやすいかもしれないですね...)
この機体は2015年12月に公開された日本・トルコ合作映画"海難1890"を記念し、復刻塗装が施されました。
この機体の愛称は"KUSHIMOTO"(KUSHIMOTO号)
なぜターキッシュエアラインズにこのような塗装が施されたのか、なぜ串本の名が機体の愛称になったのか。
そこには深い歴史があり、その歴史にターキッシュエアラインズも大きく関わっていました。
ということで、その点について注目していきましょう。
日本とトルコの友情が生まれた出来事
1.エルトゥールル号遭難事件
オスマン帝国(現在のトルコの一部)の海軍の軍艦であるエルトゥールル号は、1889年7月14日に小松宮夫妻のイスタンブール訪問への報答としての親善訪問、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて大日本帝国(現在の日本)へ向け出港。
その後1年弱の歳月をかけ1890年6月7日に横浜港へと到着しました。
大日本帝国へは約3か月滞在し、1890年9月15日にオスマン帝国へ向け出港。
しかし翌日の夜、台風の影響で紀伊大島の樫野崎にある岩礁へと激突し、その影響で水蒸気爆発を起こしエルトゥールル号は沈没。
乗員乗客約600人が海へと投げ出されました。
残念ながらほとんどの方々は死亡・行方不明となってしまったものの69人の方々は地元の方々の救助により助かりました。
この事件はトルコの教科書に載っていて、多くのトルコ人は当たり前のごとく知っているそうです。
実際に筆者もこの事件の話は、中学校2年生の時に道徳の授業で知りました。
2.イラン・イラク戦争での日本人脱出劇
1980年、イラン・イラク戦争が勃発、以降年が経つにつれ戦争は激化していきました。
そんな中1985年3月17日、イランのサッダーム・フセイン大統領は「48時間の猶予を与える。それ以降は民間機であろうと無差別に攻撃する」と発表しました。
つまり、この猶予を過ぎれば実質脱出は不可能。
それを知った日本政府は日本航空に派遣を要請しましたが、日本航空の労働組合は万が一のことがあった場合在イラン日本人だけでなくパイロット・客室乗務員の命にもかかわるということでこの要請を却下しました。
タイムリミットもあり、後がなくなった日本。
そんな中最後の望みを懸け、在イラン日本国特命全権大使である野村豊氏が個人的に友好のあった在イラントルコ特命全権大使であるイスメット・ビルセル氏に協力を要請。
その結果トルコ政府が承認し、トルコ航空機(現ターキッシュエアラインズ)を1便増便しトルコ人とともに救助をしてくれたそうです。
また、トルコは位置的にイランから陸上移動での脱出も可能ということで万が一の場合はトルコ人を陸上輸送するということで航空機に日本人を優先搭乗させてくれたとのこと。
これに対し、トルコ人はエルトゥールル号のことを思い出し誰も文句を言わなかったといいます。
トルコ政府も後に「エルトゥールル号のお返しをしただけだ」と述べたそうです。
"海難1890"という映画を両国で作成したことを記念し、この2つの出来事をきっかけに"KUSHIMOTO"という愛称がつけられ、Retro liveryも誕生しました。
この"海難1890"はアマゾンにて400円/7日間で見ることができます。
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